2005年06月21日

『Q.E.D.』シリーズは、コミックのミステリでは最高峰であると自信を持って推挙できる作品です。
21巻は、雪山山荘の密室殺人。定番な舞台で定番な事件ですが、主人公お得意の背理法を駆使して証明してくれます。
このシリーズは、タイトルからもわかるように、数学がベースとなった事件が多くみられます。コミックで数学をテーマにした作品は、非常に少ないだけに、貴重な作品です。
21巻では、ミステリにありがちなモチーフでしたが、シリーズを通してみると、
 1. 殺人事件
 2. 数学・コンピュータ関連の事件
 3. 日常の謎
といったストーリに分類できます。
3のようなストーリーは、小説におけるミステリーでも北村薫ブーム以降(ほんとか?)多くなってきたように見受けられますが、2のようなストーリーは、なかなかありません。
数学・コンピュータファンは是非一読あれ。


『Q.E.D.証明終了(21)』加藤元浩







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2005年06月19日

家族みんなで勝沼のさくらんぼ農園白山円にさくらんぼ狩りにいってきました。
八百屋さんでパックで買ったさくらんぼは、いつもちょっと食べたりない感じ。
もっと食べたい、という想いを満たすため、30分の時間制限の中で、満足するほど食べてきました。
もう今年は、さくらんぼ食べなくていいかも。

その後、愛宕山こどもの国で、チビたちの運動。
ところが、ここには山梨県立科学館が併設されており、プラネタリウムや天文台もあり、かなり本格的な感じ。
時間もなく、中は見学できませんでしたが、学校が休みの季節でもないこの時期に、イベントもいろいろあり、もう少し子供が大きくなったら一緒に遊びたい感じです。

このイベントのなかに、「ROBOT 夢のアストロボーイへ」と題して、映画上映をやっているようです。そのサブタイトル(?)に「なぜヒトはヒト型ロボットを作るのか」という一文が、なんだかおかしかったです。
ヒト型ロボットの研究が一番すすんでいるのは、日本のようです。「アトム」や「ドラえもん」「ガンダム」といった、偉大なロボットの前例があることが、かなり貢献していることでしょう。この映画での結論をぜひみてみたいものです。

こどもの国では、天気にも恵まれて、みんな汗でどろどろ。最後に、ぷくぷく湯で汗を流して帰ってきました。






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2005年06月16日

かぜひきました。
ダウンです。
おなか痛ひ・・・。





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2005年06月14日

『2001年宇宙の旅』から始まるオデッセイシリーズ第4作にして、シリーズ最終巻。
海王星軌道にて作業中の船が、宇宙空間を漂う異物を発見、回収した。おどろくべきことに、2001年のディスカバリー号の反乱事件における犠牲者の死体だった。そして氷結状態の死体は、見事生命を吹き返したのだった。
2001年の時代の人間が、突然3001年の時代に時間旅行しような視点で始まるこの物語は、驚異に満ちた1000年後の未来を描いている。

本作品で、重要なアイテムとして「ブレインキャップ」というものが登場する。
2005年現在のコンピュータと人間のインターフェースは、主にモニターとキーボードである。その付属としてマウス、ペン、ジョイスティックとボタン、ゲームコントローラの類などもある。一般に、言語を記述するのは、キーボードとモニタである。
キーボードというこの入力インターフェースは、とにかく遅い。
打っているうちに、書きたいことを忘れてしまうほどである。
人間の思考からわきでる言葉を、早くても1秒に5文字程度しか入力できないのである。図イメージにいたっては、悲劇である。
ある程度文章やメールを大量に打ち込む人は、表層思考の言葉をそのまま入力できればいいのにと思ったことのある人は多いだろう。そうした、夢の入力装置である。
コンピュータからの出力デバイスとしても有効である。
ナノチューブを介して脳の視覚野、聴覚、嗅覚、味覚に適切な刺激を与えればいいのである。仮想現実も脳にとっては現実になる。
脳に対しての直接入出力というアイディアは、各SF作品で頻繁に使われいる。ヘルメットをかぶるものから、外科出でコネクタを埋め込むもの、LCL溶液に全身を浸すものなど。
クラークの「ブレインキャップ」の仕組みは直接的で単純である。
ナノの太さのチューブが、頭皮から脳内に入り込んでいき、脳内の思考を司る細胞(シノプス?)に接触し、その活動を読み取る。細胞間の隙間にはいれるほど細いので痛くはない。

気になるのは、この仕組みについてではない。
クラークは、未来の予見的中率の高い作家である。SF作家(ハードSF作家であればなおさら)は未来を予見しなければならない職業だが、どれほど的中しているかの事例は、訳者あとがきに解説されているので、そちらを参照してほしい。
気になるのは、クラークの予見では、こうしたコンピュータと脳の直接接続が、どれくらいの時期に予想されているか、だ。
できることならば、ぼくが生きているうちに体験したかった。

   だが第三ミレニアムの末には、携帯電話の初期のころと同じように、
   それは日常生活に不可欠なものとなっていた。(p.265)

となるように、一般に普及するのは、どうやら29世紀ごろらしい。
いっぽう、技術が実用化された時代については、以下のような記述がある。

   いよいよ組み込みのときが来た。ここに至って、あらためて身の縮むよ
   うな畏怖の念に打たれたが、これは人類が既に五百年あまり前から通
   過儀礼としてきたプロセスなのだ。(p.54)

すくなくともナノチューブを頭皮に挿入していく技術は、24世紀ごろには実用化されていたと理解できる。
どちらにしろ、ぼくが生きていられることはなさそうだ。

『2001年宇宙の旅』は1964年に書かれており、30年後には人工知性体ともいえるHALを予見した。その時代が来てみると非常に残念な現実となった。脳の謎、思考・知能の解明は、限りなく深遠なことであることに気づいた三十年であったといえる。
この小宇宙を解き明かし、コントロールし文化向上に利用していくには、まだ5世紀もかかるのかと思うと、人間の一生は、やはり短すぎますね。


『3001年終局への旅』アーサー・C・クラーク著







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『2001年宇宙の旅』から始まるオデッセイシリーズ第4作にして、シリーズ最終巻。
海王星軌道にて作業中の船が、宇宙空間を漂う異物を発見、回収した。おどろくべきことに、2001年のディスカバリー号の反乱事件における犠牲者の死体だった。そして氷結状態の死体は、見事生命を吹き返したのだった。
2001年の時代の人間が、突然3001年の時代に時間旅行しような視点で始まるこの物語は、驚異に満ちた1000年後の未来を描いている。

本作品で、重要なアイテムとして「ブレインキャップ」というものが登場する。
2005年現在のコンピュータと人間のインターフェースは、主にモニターとキーボードである。その付属としてマウス、ペン、ジョイスティックとボタン、ゲームコントローラの類などもある。一般に、言語を記述するのは、キーボードとモニタである。
キーボードというこの入力インターフェースは、とにかく遅い。
打っているうちに、書きたいことを忘れてしまうほどである。
人間の思考からわきでる言葉を、早くても1秒に5文字程度しか入力できないのである。図イメージにいたっては、悲劇である。
ある程度文章やメールを大量に打ち込む人は、表層思考の言葉をそのまま入力できればいいのにと思ったことのある人は多いだろう。そうした、夢の入力装置である。
コンピュータからの出力デバイスとしても有効である。
ナノチューブを介して脳の視覚野、聴覚、嗅覚、味覚に適切な刺激を与えればいいのである。仮想現実も脳にとっては現実になる。
脳に対しての直接入出力というアイディアは、各SF作品で頻繁に使われいる。ヘルメットをかぶるものから、外科出でコネクタを埋め込むもの、LCL溶液に全身を浸すものなど。
クラークの「ブレインキャップ」の仕組みは直接的で単純である。
ナノの太さのチューブが、頭皮から脳内に入り込んでいき、脳内の思考を司る細胞(シノプス?)に接触し、その活動を読み取る。細胞間の隙間にはいれるほど細いので痛くはない。

気になるのは、この仕組みについてではない。
クラークは、未来の予見的中率の高い作家である。SF作家(ハードSF作家であればなおさら)は未来を予見しなければならない職業だが、どれほど的中しているかの事例は、訳者あとがきに解説されているので、そちらを参照してほしい。
気になるのは、クラークの予見では、こうしたコンピュータと脳の直接接続が、どれくらいの時期に予想されているか、だ。
できることならば、ぼくが生きているうちに体験したかった。

   だが第三ミレニアムの末には、携帯電話の初期のころと同じように、
   それは日常生活に不可欠なものとなっていた。(p.265)

となるように、一般に普及するのは、どうやら29世紀ごろらしい。
いっぽう、技術が実用化された時代については、以下のような記述がある。

   いよいよ組み込みのときが来た。ここに至って、あらためて身の縮むよ
   うな畏怖の念に打たれたが、これは人類が既に五百年あまり前から通
   過儀礼としてきたプロセスなのだ。(p.54)

すくなくともナノチューブを頭皮に挿入していく技術は、24世紀ごろには実用化されていたと理解できる。
どちらにしろ、ぼくが生きていられることはなさそうだ。

『2001年宇宙の旅』は1964年に書かれており、30年後には人工知性体ともいえるHALを予見した。その時代が来てみると非常に残念な現実となった。脳の謎、思考・知能の解明は、限りなく深遠なことであることに気づいた三十年であったといえる。
この小宇宙を解き明かし、コントロールし文化向上に利用していくには、まだ5世紀もかかるのかと思うと、人間の一生は、やはり短すぎますね。


『3001年終局への旅』アーサー・C・クラーク著







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